メビウスの耽溺

 第1章「ロイヤルウェディング」 7話

担当:榎本かほり

 
 結局ヴィリーゼの半ば強引な押し売りで始まった二人の旅路は、気付けば半日が過ぎていた。
 人の目を掻い潜りつつ、郊外へと足を向けた二人。ヴィリーゼのおかげで道すがら誰に見つかることもなく、日が落ちる頃には、既に王都から遠く離れた街外れに辿り着いていた。
 ヴィリーゼと共にしている間にも何度か盗みを繰り返したのだろう、男の袋が数倍にも膨れ上がっていたような気もしたが、少女は敢えて何も聞かなかった。
 まるでかくれんぼのような逃走劇。
 それは彼女にとって今までにない冒険であり、至福の時。対して男は、いつまで逃げられるのだろうかという恐怖心が募るばかりであった。

「今日は随分と王国の兵達が警備にあたってますね……」
 物陰に隠れながら、ヴィリーゼはそっと呟く。
「近頃お姫様が結婚するとかってんで、重役さん達が城に集まってるからだろう。まあ俺には縁のない話だが」
 男は淡々としていたが、どこか弱々しくも見える。
 その言葉で漸く今日の重要会議を思い出した少女は一瞬、固まった。
 それだけではないことを、彼女は知っていた。
「きっと私が城を抜け出したのがバレたんだわ」と、うわ言のように呟く。重要会議を欠席したことが父に知られることは由々しき事態。「どうしましょう」という、彼女の弱音は幸いにも男の耳には届いていないようで、独り周囲の音によって掻き消されていった。

「あ、ありゃあルーシフ王国の軍旗じゃねえか?」
 事の重大さに少々怖けるヴィリーゼを、男の声が現実に引き戻した。
 彼の視線の先を辿ると、遠くの大通りで列をなした兵隊達が城に向かって行進していた。よく見ると自分と変わらない年齢層の者もいたが、そのほとんどが見た事のない顔ばかり。
 ――何をしに来たのだろう、ロイヤルウェディングの段取りでも組みにきたのだろうか。
 そんな事を考えていると、男が覚悟を決めたかのように深く息を吸った。
「そろそろ潮時だな。国外へ逃げるとするか」
「当てはあるのですか?」
「あることにはあるが、はみ出し者の溜まり場みてえなところだ。嬢ちゃんが来るような場所じゃねえよ」
 そう言って少女の頭を撫でる男。
「ま、またそうやって私を子供扱いして……!」
「お遊びはここまでだ嬢ちゃん。お前、見たところ良い家柄の出だろう? 悪遊びは控えたほうがいいぜ、俺みたいになっちまう前にな」
 クシャクシャな笑顔を向ける盗人に、ヴィリーゼは返す言葉が見当たらなかった。
 盗みを働かなければ、生きていけない者がいる。
 頭では分かっていた事でも、こうも目の当たりにするまでは実感が湧かなかった自分を恥じた。
 ――この者を救える程の力が、今の私にはない。

「分かりました。これまで付き合っていただいたご恩もありますし、ここは大人しく引き下がりましょう」
 拳を握りしめながらも、ヴィリーゼは笑顔で言う。
「ですが、せめて貴方のお名前だけでも教えていただけませんか」
「あ? そういや、まだ名乗ってなかったか。俺の名は……」
 彼女に応じ、男が自分の名を口にしようとした、そのとき。

「おいお前達、ここで何をしている」
 いつの間にか背後にいた兵が、まるで尋問するかのように、低く、冷たい声でこちらを見下ろしていた。

 

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