メビウスの耽溺

 第1章「ロイヤルウェディング」 1話

担当:榎本かほり 

 
 空は青々、日は燦々(さんさん)。
 悠々と浮かぶ朧雲(おぼろぐも)の元で、新たな緑の芽が大地から萌え出そうとしていた。峻険(しゅんけん)な山々から吹き降りる風は暖かく、そっと、まるで春の訪れを伝えるかのように花の香りを仄かに運んでいる。
 
 世界に名高いルーシフ王国の王都は、その日、一際な賑わいを見せていた。堂々とそびえ立つ白亜城の門前で沢山の騎士たちが駘蕩(たいとう)たる面持ちを並べ、フラワーガールが空に向かって花を撒く。華やかな音楽が辺りを包み、民は喝采と祝福の声を上げて、歌い、踊り、騒ぎ回っていた。
 イグナーツ・エルベンもその例外に過ぎず、一人、溢れんばかりの興奮を抑えきれずにいた。その瞳には一切の邪念がなく、今から訪れる一幕を待ちわびるその姿はまさに少年のよう。居ても立ってもいられない様子で彼は腰に構える剣に手を添え、騎士団の方へと駆け寄っていった。
 
「なあなあ、ヴェンツェーヌ王国のお姫様ってどのくらい可愛いんだろうな」
「何を言ってるんだ、うちの国王陛下が惚れた姫君だぜ。そりゃあ、べっぴんさんに決まってんだろう」
「私、早くヴィリーゼ様にお会いしたいわ! 結婚式はまだ始まらないのかしら」
「嗚呼、僕みたいな奴がロイヤルウェディングっつーやつを見れるだなんて夢のようだよ!」
「遠い国からわざわざお越しになって結婚式だなんて、ご苦労なことねえ。これからは此方の国に住まわれるのかしら」
 
 周囲を掻き分けていくと、民衆の浮き足立った声が耳に届いた。それもそのはず。何を隠そう、今日はルーシフ王国国王とヴェンツェーヌ王国第一王女が結ばれるめでたき日で、その晴れ姿を一目拝もうと国中の民が騒ぎ立てているのである。
 しかしその一杯機嫌な調子が気に食わないのか、イグナーツは辺りを見回したあと軽く舌打ちをして、
「おいおいおい、良い歳過ぎた大人が揃いも揃って気を緩め過ぎじゃねえか? 」
 と、悪態をついた。逆立てた茶髪が纏うはサギラン魔法学校の制服。彼は今日、王家の護衛者としてこの式に参加していた。
 
「少年、今まで何処に行っていた。式はすぐに始まるぞ」
 王宮の門前に辿り着けば、すぐさま鋭い叱咤の声がイグナーツを殴りつけた。猛牛のような体をした騎士が多いなかで、唯一細身なその騎士は、彼を一目したあと、再度彼に答えを催促する。
「何処って、ただ巡回がてらに街の様子を見て回っていたって言うか……」
「そんな事をお前に頼んだ覚えはない。それとその物騒な剣をしまえ。今お前に騒ぎを立てられたら、たまったものじゃないからな」
 涼しげな顔で述べる騎士に逆上したイグナーツは、
「何でだよ! もう敵は此方に来てるかもしれねぇんだぞ!」
 と、吠える。対して騎士は一切それに動じることはなく、
「興奮する気持ちも分からなくはないが、今の最優先事項は式の警備体制が万全であることだ。それに民間人に刃を向ける王立騎士団がどこにいる」
 と、淡々と答えた。
「じゃあ何だよ、未然に防げるチャンスを黙って見過ごせってのか? ハッ、さすがのエリート騎士様は余裕綽々ってわけか!」
「今お前と言い争っている暇はない。直に国王陛下がお見えになる。早く持ち場につけ」
 あっさりと言い負かされたイグナーツは渋々ながらも剣を収め、門をくぐっていった。彼の頭を過るは敵、近頃勢力を増している『魔王』の存在。彼はそればかりが気に掛かって、ロイヤルウェディングどころではなかったのだ。
 そんな魔法学校の生徒が騎士の任務に参加するに至るまで。それは一週間前の話に遡る。
 

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