メビウスの耽溺

 第1章「ロイヤルウェディング」 5話

担当:幻灯夜城

 
 ルーシフ王国。
 結婚相手の国であるのもあってかかの国には何度か訪れており、よく見かける服装だということもあってかヴィリーゼはすぐに分かった。皮肉なもので、幾らその国に嫁ぐことを嫌がっていようとも、謁見に向かう度に目にしていれば自然と文化も把握できてしまう。
 男の手に大事に抱えられているのはずっしりと膨れ上がった袋。形状からして硬貨が入っているであろうソレ。
 そして、そのよく見かける服装が古ぼけていることから何となくだが男の経済状況が把握できた。

「だ、大丈夫ですか?」
 幸いにして何処にも怪我をしている様子はない。自分も相手も少々土埃で汚れた程度であり、恐らく洗えば直ぐにでも取れるだろう。前を見て歩け、と本当なら言うべきところであるがその向こうに見える明かな怒気を纏った者を見るとその言葉は喉元で一気に押し込められる。
「オイ何処に行ったコソ泥! ぶっ殺してやる!」
「っ、ヤバい、もう来た!」
 怒声に怯え駆け出そうとする男。すぐさまヴィリーゼはその手を取る。
「っ、何だよ、文句なら後で」
 焦燥に駆られる男。
 向こうより迫る怒声を背に、ヴィリーゼの決断は早かった。これでも王宮を抜け出したり、追ってくるかもしれない兵士から逃亡するために腕力も脚力も鍛えているのだ。すぐさまがっしりと掴んだ手で男を思い切り引っ張り、土煙を上げて駆け出す。
「こっち!」
 駆け出した先は裏路地。法の秩序から少し外れた世界。
 酒場、宿屋、倉庫、繁華街にはよくある入り組んだ迷宮。
 背後から迫る怒声。捕まったら何をされるだろうか。
 今日はとってもスリリングな一日になりそうな予感がした。

 何度か曲がり角を曲がり、男と共に走り抜ける。道は覚えている。問題ない。兵士の目が届かない道としてよく利用しているから、何度か角を曲がっていけば追っ手を撒ける事も実証済みだ。走るのにも問題はない。一旦立ち止まって背後を振り返り、自分が引っ張ってきた男がいて、怒声を上げる者がいないことを確認してほっと溜息を付く。
「……なぁ、アンタ。悪かったな」
「……何でしょう?」
 ルーシフ国民であろう男が申し訳なさそうに謝罪してきた。
「分かってんだろ?」
「だから何をですか?」
「俺が盗人だってこと。まずいんじゃあないのか? 協力しちまって」
 淡々と、しかし目の前の少女を巻き込んでしまったという事実。共犯扱いされるのだけは避けたい、だから微かに「俺は怖い泥棒だぞ」と威圧をかける男。しかしヴィリーゼにとってはそんなものさしたる問題ではない。
 目の前の男がルーシフの民で、強盗に走らなければならない程の事情があるかもしれないという予測。
 その予測は、民を、人を、分け隔てなく愛する彼女の心にちくりと針を刺した。

 それからもう一つ理由がある。
 今、追われている、という状況でヴィリーゼは閉じこもっていては味わえないスリルに心から笑えていたから。

「別に、大丈夫です。貴方にも事情があるんでしょうから。それに」
 頭の中を疑問符で埋め尽くす男。
 にこり、と笑って少女は続けた。

「これ位スリルがあった方が、楽しいじゃないですか。――なーんて、あははは……」

 

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