メビウスの耽溺

 第1章「ロイヤルウェディング」 10話

担当:幻灯夜城

 
 夕刻、何時もの抜け道である窓から垂れていたシーツを器用に伝って部屋へと戻る。
 テーブルの上には魔法で鮮度が保たれたラズベリーのロールケーキと『今日は部屋から出ないように』というシオンの書き置き。

 重要会議を抜け出したことで、兵士をも駆り出す程の大騒ぎになってしまっていたのは大誤算であった。何時もなら、少しお小言を貰う程度で済むのだが今日というばかりは誤魔化しきれなければどうなるかは目に見えている。
 秘密を共有している彼女には、「体調不良で寝込んでいる」と伝えるようにはあらかじめ、何時ものように頼んではいるが――事の大きさが大きさだ、何時気付かれてもおかしくはないだろう。現に今部屋に入られていないというだけでも奇跡に近いというのに。
 ……考えれば考えるほど最悪の想像ばかりが過ぎって嫌気が差してくる。今回の婚姻の段取りに関しても己の望むところではないのだし、出席する意味にしても体裁を保つためだけだというのだから、己がいなくともいいではないか。

 ベットに寝転がり天幕を見上げる。
 思い返すは今日出会った浮浪者の事。そして兵士が簡単に賄賂に応じてしまったということ。
 父からは善政の話しか聞かされていないが、ウィリーゼは歳を経るにつれてそれに懐疑的な印象を持ち始めていた。丁度、好奇心の導くままに始めて抜け出したあの日、聞いていた話と実際の民の暮しの乖離を目の当たりにしたからである。
 百聞は一見にしかず。聞く情報と見て、体験する情報には大きな差が出るとはよく言うが。……これまで見てきたもの然り、今回の出来事然り、「国民の未来を目指した政治を敷いている」という印象とは大きく異なっているようにしか感じられなかった。
 このことを父に聞けた試しはない。何時もの優しい父親、そして会議の場での厳格な姿しか知らない故にどうしても尻込みしてしまう。

「……はぁ」

 ――はみ出し者の溜まり場みてえなところだ。

 国外逃亡の当てを聞いたとき、確かに彼はこう言った。
 裏を返せばヴェンツェーヌ王国の首都外にはそういった場所があるということだ。あるいは、どの国にも所属出来ない治外法権の場所の可能性もある。
 明日はそこを目指して飛び出してみようか。何事も無ければ、……だが国外まで行くともなればリスクも大きくなるだろう。泊まりがけ出行かなければならないのは確かだし、何よりそこまで誤魔化し切れる自信もない。勇気というより無謀な挑戦であるのはウィリーゼ自身も理解しており、まずシオンからストップがかかるのは確かだろう。
 だがそれでも見なければという意志は確かであった。この目で見て、話して、実情を理解する。己が将来民の上に立った時に必要なことを今の内に全て成し遂げてしまうのだ。

 ……だがこれ以上の当てがない。
 理想は大きいのに現実が全く伴わない。
 等身大の己では出来ないという力不足に、不貞寝(ふてね)という形で現実を逃避する。

(……)

 らくえん
 理想の国を創りたい。そうでなくても、皆が報われる政治を創りたい。
 何かしらの形で人の上に立てば誰もが夢視ることで、そして誰もが現実を前に妥協に妥協を重ね始める。
 最初は理想。次は現実。その次は妥協。その次は落としどころ。最後は民へ、そして昔の自分への誤魔化し。

 ――ウィリーゼも、その一人となりつつあった。

 

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