群青

 第1章「祭」 4話

 
「俺が祭りの主役とはどういうことだ」
 
 動揺を隠せないまま勝茂は早口で尋ねる。
「言葉通りの意味さ。俺はこれからこの記帳を評定所に持っていく。だから君にはその間に代官を懲らしめてもらいたいんだ。そうすれば悪者は消えて、晴れて君がこの町の救世主だ、なあ、悪い話じゃないだろう?」
 笑顔のまま盗人は話を続ける。
「君が代官をやっつけてくれたら、あのしつこい追手もいなくなって助かるんだよ」
 そう言って盗人は視線を移した。戸の向こうでは変わらず奉公人たちが忙しなく彼のことを探し回っていた。
 
「それならお前が代官様を黙らせてから評定所に向かえばいいだろう。素人の俺が出しゃばっても足手纏いだ」
「うーん、確かに俺一人でやったほうが手っ取り早いかもしれないけど、こういうのは次のお代官様にやってもらわないと意味がないからね」
「次の代官ってどういう……」
「君たち、没落士族だろう」
 その言葉に勝茂の顔が強張った。
「……なぜそれを知っている」
「もちろん知ってるさ。俺はね、君に復してほしいんだよ。君だって本当はあの悪代官から簒奪(さんだつ)できる日を今かと待ちわびていたんじゃないのかい?」
 図星だった。盗人の言うとおり三重家はもともと代官としてこの地を治めていた。しかし一人の家臣によって濡れ衣を着せられ、十年前にその地位を奪われたのだ。
 もしあの悪代官をこの手で引きずり下ろすことができたら。勝茂はふと考える。三重家が士族に戻るには、確かにこの盗人が提示した方法が効果覿面(てきめん)だろう。しかし勝茂にとって重大なのは何故それをこの男が知っているのか、ということだった。
 いくら迫っても盗人はやはり答えない。肝心な答えをはぐらかしたまま勝茂の反応を楽しんでいる。
 
「……仮にそうだとしても素性の知れないお前なんかと一緒に危ない橋を渡るのはごめんだ」
「ふうん。じゃあこんな滅多にない機会をみすみす捨てるのかい。母親の死が悪代官の仕業だと知りながら」
「……」
 
 慄然(りつぜん)とした。男はまるで勝茂のすべてを知っているかのようだった。盗人の言う通り、母は二カ月前に他界している。代官による徴収が厳しかったがためにまともな治療も出来ず、病死したのだ。
 全てを見透かす男の瞳は末恐ろしかったが、同時に勝茂の心を揺さぶった。
 
(こいつ、只者じゃない。)
 
 そう直感が叫んでいた。こいつなら何かを変えられるのかもしれない、そんな言いようも知れない確かさがこの男にはあった。もしかするとこれは渡りに船なのかもしれない。
 勝茂は覚悟を決めたように大きく息を吸う。
「……何をすればいい」
「にしし。そうこなくっちゃ!」
 その静かな決意に盗人は満足そうに笑った。
 
 土間に大きな地図を広げ、着々と準備を進める盗人を見て勝茂は内心で感心した。なるほど、あの代官を出し抜いたのは運でもまぐれでもなく、彼の用意周到さが導いた結果らしい。擦り切れた西洋紙には何十もの脱出ルートと警備配置が記されており、代官屋敷の見取り図や変装用の着物の準備にも抜かりがなかった。
 
「本当にやるんだな」
 急に現実味が増した気がして、勝茂は気を詰める。握り拳の中で変な汗が溜まっていく。
「なんだ、怖気づいたのかい?」
「そ、そんなことはないけど」
「大丈夫。俺の言う通りに動けば失敗はありえないから」
 断言する盗人に、大した自信だな、と一蹴しようとしたとき。玄関のほうからガタガタと荒々しく戸が開く音がした。
 勝茂はハッとして立ち上がる。
 
 (――まずい。親父が帰ってきた。)
 
 正茂から使いを頼まれていたことを思い出した勝茂は慌てて台所に駆け込み、材料を無造作に袋に詰め入れた。そしてそれを抱えて急ぎ足で玄関へ向かう。もし父親に罪人を匿っていることが知られればきっとただでは済まされないだろう。門戸を開き、勝茂が息切れを堪えながら「お、おかえり」と父親を迎え入れると、正茂は訝しげに息子を凝視した。
「遅えぞ。今まで何やってたんだ」
「何って、親父に頼まれていたものを揃えていただけだよ。ほら」
 しかし差し出された袋に目もくれず、正茂は息子の顔を見続けた。そして何かを察したのか、彼を力づくで押し退けると部屋の奥へと入っていった。
 「あ、ちょっと、今は入らないほうが」勝茂の呼びかけも虚しく、父親は土間のほうへとずんずん進んでいく。そして勢いよく襖を開けて、何やら地図に書き込んでいる盗人の姿を捉えると、正茂は彼の目前まで近寄り立ち止まった。見上げる盗人と正茂の視線が交錯する。
 
 しばしの沈黙。
 
 勝茂は落ち着かない不安を抱えたまま二人の様子を見守った。生唾を飲む込む音が鮮明に聞こえる。誰も言葉を発さない数秒が異様に長く感じた。
 しかし勝茂の予想に反して、二人は驚くことも声を上げることもなく懐かしさを込めて笑い合った。
「……やはりお前だったか、オリーヴァ」
「久しぶりだね、正茂。勝手に邪魔してるよ」
 その親しげな雰囲気に「えっ」勝茂が驚きの声をあげた。「二人は顔見知りなのか?」
「ああ」正茂が答える。「さっき、前に大量の密入国者が現れたって言ったろ? こいつはそんときの死に損ないさ」
「正確に言うと、君が逃してくれたおかげで生き延びたんだけどね」オリーヴァと呼ばれた盗人が付け加える。「今日はその借りを返しにきたんだ。人伝てに君が部下に嵌められたって聞いたからさ」
「余計なお世話だ」
「まあまあ。人の好意は素直に受け取っておこうよ」
 事態を飲み込めない勝茂は二人の話を黙って聞くしかなかった。どうやら二人は過去に何かがあったらしい。
 
 オリーヴァは自信ありげな表情で腰に手を当てた。
「もう準備は出来てるんだ。すぐにでもあの悪代官を引きずりおろして、君たちを武士に戻してあげるよ」
 その言葉に対して正茂は鼻で笑った。
「ふん。俺は何もしねえぞ。お前が勝手に始めたことだ」
「もちろん。だけど勝茂は借りていくよ。ちょっとしたお守り代わりだ」
「はあ?」
「大丈夫、夜明けまでには返すから」
 余裕綽々なオリーヴァの態度に正茂は高笑いした。まるで期待していないような素振りだったが実に愉快そうだった。
「ったく、お前はちっとも変わんねえな。昔と同じだ」
「君はちょっと老けたけどね」
「ははは。違いねえ」
 そんな二人を見ていた勝茂はオリーヴァに対する期待が確信に変わっていた。
(今まで暗かった親父があんな楽しそうに人と笑うなんて。)勝茂は思う。(やっぱりこいつには何かを変える力があるのかもしれない。)
 
 数分の間、三人は地図を囲むようにして向き合った。オリーヴァの練りに練られた作戦を頒(わか)ち合ったあと、ゆっくりと顔を上げる。三人の瞳には闘志と確信が灯っていた。準備は全て整った。オリーヴァの言う通りであれば、今夜、三重家は再び藩主の座に就くことができる。
「勝茂、覚悟はいいかい?」
 支度を済ませたオリーヴァが布袋を担ぎながら尋ねる。勝茂はそれに応えるようにして背筋を伸ばした。
「ああ、いつでもいける」
「いいね。いい返事だ」
 オリーヴァは満足そうに笑みを浮かべた。
 
 

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