第1章「祭」 2話
ぼたぼたと音を立てながら落ちてくる大量の小判。
それを祭りそっちのけで喜々として拾い集める町人たち。
盗人は満足げに見届けたあと、代官に向かって思い切り舌を出し挑発してみせた。
「やい、お代官様。悔しかったら拾って見みやがれ」
無残に散る小判を見下ろしながら代官はわなわなと肩を震わせる。
「こんなことをして一体何のためになる。異国人風情が鼠小僧気取りか」
「別に。俺は横領された小汚い金が嫌いなだけさ」
「何を根拠に……」
「そんなの自分が一番分かっているだろう? 職務怠慢、不正転売、公金横領。挙げたらキリがないと思うけど」
「……」
威勢の良かった代官は男の言葉に口を噤(つぐ)む。盗人の声がふもとで騒ぐ民衆の耳に届くことはなかったが、代官を黙らすには十分なようで、ぐうの音も出ない様子だった。
「アンタみたいな下衆の下で、みんな寝る間も惜しんで働いているんだ。今日くらいはお小遣いを配ってもいいかなと思ってさ」
「ふん、言わせておけば。どこでそれを知ったかは知らぬが、昨日今日来たどこぞの小童には何も分かるまい」
「こちらこそ。成金野郎の泣き言なんて御免だね」
吐き捨てた盗人は踵を返し、再び瓦の上を伝って逃走する。慌てた代官が声を荒げ、「おい貴様ら、何をぼさっとしている! あの餓鬼を今すぐ引っ捕らえよ!」と、奉行人たちに向かって怒鳴り散らした。
面目潰れた代官の「出合えー出合えー」の掛け声を合図に、奉公人らは小男の後を追い去っていく。次第に見飽きた見物客も小判を拾い終わると散り散りになっていき、気付くと辺りには誰もいなくなっていた。
あまりにも唐突な、まるで一種の催事のような顛末を傍観していた親と子は、互いに無言のまま立ち尽くす。いつの間にか祭囃子が再び音を奏で、祭りは見事に、まるで何事もなかったかのように再開されていった。
「い、今のは一体なんだったんだ?」
やっとの思いで勝茂が口を開く。
「さあな。とりあえず異国人なんかにこの国一番の祭事を止めることはできなかったってことだろう」
父親は相変わらずの態度で、さっさと自分の立ち位置に戻ってはまた焼きそばを作らんとしていた。いつまでも困惑している勝茂が恥ずかしく思えるほどに、父親は冷静だった。
「何でそんなに落ち着いているのさ」
気に食わない勝茂が捲し立てるように問いただす。
「金が降ってきたんだぞ? しかも事もあろうか異国人が不法入国して、ひと騒ぎして」
「……」
親父は暫く黙り込んでいたが、ゆっくりと口を開くと、
「……お前は知らねえと思うが、前に一度、この国が列強に侵略されかけたことがあってな」
「え?」
「まあ幸い、そんときは開国しろだの何だの恫喝(どうかつ)されるだけで済んだんだが、代わりに馬鹿な異国人どもが大量密航して国中大騒ぎでよ。もしかしたらそんときに耐性がついたのかもしれねえな」
「……はあ」
何かと思えば、勝茂は唐突に空想物語を読み聞かせられたような気分になった。それほどの事件であれば寺子屋で習うだろうに、異国人が密入国したことなど今まで聞いたことがない。
「それで、そいつらは?」
勝茂が聞くと、
「あっという間に打ち首さ」
そう答える父親はどこか誇らしげだった。
「……それならあの盗人も、すぐに捕まって処刑かな」
「あたぼうよ。お前が心配することは何もあるめえ」
意気揚々とした父親とは裏腹に、勝茂はどこか腑に落ちない様子だった。
食事時が近づくにつれ、白けていた男の店にも次第に客足が集まるようになっていった。きりきり舞いの親子は必死で出店を切り盛りする。死んだ母親を想起するように、二人は焼きそばを作っては売った。そして怱々(そうそう)とその作業を繰り返すうちに、勝茂は盗人の騒動のことなどすっかりと忘れていた。
途中、食材の不足を感じた父親が「おい、家から材料をあるだけ持ってきてくんねえか」と声をかける。その声は周りの音に負けじと生き生きしていた。それは勝茂にとって待ち望んでいた、懐かしい父親の姿だった。
返事をしたあと、勝茂は足早に家へ戻った。
二人がこの長屋(ながや)に住み始めてから随分と経っていた。柱はところどころ歪み、年季の入った畳も湿気ている。居心地は悪かったが、親父との思い出が詰まった愛着のある我が家に違いはなかった。
その薄暗い台所で言われた通りの食材を揃えていく。すると、
ガチャン
突如、どこからか――土間のほうだろうか――陶器が擦れるような音が微かに聞こえてきた。
勝茂は反射的に音のするほうへと振り向く。
襖を隔てたその先からはそれ以上の音は聞こえない。
勝茂は嫌な予感がした。
(――もしかして、誰かいるのか?)
不審に思い、そっと息を殺して戸のほうへと向かう。
抜足、差し足、忍び足というように、慎重に爪先を地面に置いて歩いていく。
しかし音の主はすぐさま勝茂の気配に気付いたようで「やあ、勝手に邪魔してるぜ」と能天気に挨拶してきたではないか。
「……な、何者だ! 勝手に人の家に上がり込みやがって、何をしている!」
予想に反して呑気な不審者に勝茂は逆上し、勢いよく襖を開けた。そして絶句する。
居座っていたのは小綺麗な身なりをした男だった。
短く揃えられた緑色の髪。色彩豊かな布服に純金製の装飾品。あまりに新奇な格好。
大丸国に似つかわしくない風貌。
勝茂の家で焼きそばを食べていた侵入者は、先ほど町で小判をばら撒いていた異国人だった。